Saori in her 40s in Tokyo

ライター土谷沙織 が40歳になった記念に始めた雑記ブログ

自分の顔に責任を持ちなさい、と母は小学生の私に言った

f:id:saori_t:20190124103423j:plain
人の顔の美しさとは、「パーツとバランス」ではなく「表情」のこと

私は、子どもの頃に父親から「お前は、お前が思っているより可愛くないんだからな」と言われ、その時のショックな気持ち、でもそれは真実に違いない、という直感的な確信の両方をずっと心に留めて今まで生きてきました。

 

肌の調子がバッチリで我ながらメイクがうまくできた日も、恋人に「きれい」とか「かわいい」と褒められた日も、私が鏡の中で見る私より実際の私は美しくない。脳内でちゃんと引き算をした自分というものが、リアルな自分なんだ。客観視するというのは、引き算をするということなんだ。

 

父に言われたことを人に話すと、「なんて可哀想に」という反応が返ってくるのですが、私は実のところ、あの一言を言ってくれた父にものすごく感謝しているんです。自分に子どもがいて同じようにするかといえばしないだろうけれど、私自身は自分というものをじっくり見つめ、人間の顔というものについても深く考えるきっかけを得ることができたと思っています。

 

シニカルな言い方になるけれど、他人も、自分も、有名人も、その辺の人も、すべての人の美しさを疑い、同時に醜さも疑ってきました。誰かに対するみんなの評価に同意できないことが多かったから。いつも、本当はどうなの? 私はどう思うのか? って、考えていました。

 

そして母にも、別のタイミング&違う角度で外見に対する心持ちについてのアドバイスをされたのでした。「20歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持ちなさい」と。

 

当時は小学生だったので、いまいちピンときませんでしたが、自分なりに何度も練りながらその真意を見極めて、今現在思うことは、人間の顔はその人の人生が全部出ちゃうということをしっかり理解しなさいということなんじゃないか、と。どんなに隠しても、ポーカーフェイスを気取っても、顔には現れてしまう。暮らしが、人生が、心が、現れてしまう。しかも、他人から見てとてもわかりやすい形で。

 

だから顔に責任を持つというのは、「腹を括る」ということだと今の私は考えています。自分という人間の中身が、排除しきれない醜さも含めて、表に出てしまうということに対して、堂々と腹をくくって生きるということ。決して「開き直る」のではないですよ。開き直りは変化を拒むということで、可能性がゼロです。

 

人間の中身は、心がけ次第でいくらでも変えられる。すなわち、顔というものは生き方次第で変わるもの。だから、心して自分の顔を作っていく。それが意思を持った大人にできることなんだと思います。

 

どんなに目鼻立ちが整っていても、心が醜ければその人は醜い。逆にフェニーフェイスでも、人を見つめる時の目が優しかったり、逃げないまっすぐな視線があれば、その人の表情は魅力的と捉えられるのではないか。

 

美しさとは、生き生きとした表情のこと。表情が生まれる瞬間は、客観・主観が存在しないくらい瞬間の連続。無意識の領域。だからこそ、嘘がない。醜かろうが、美しかろうが、それが100%その人の外見=真実ということ。だから人間の顔って面白い。

 

腹をくくり、自分の顔に責任を持って生きていこう。そして、常に鏡(あるいは周りの人間たち)は教えてくれると思う。自分が「いい顔」をしているかどうかを。