Saori in her 40s in Tokyo

ライター土谷沙織 が40歳になった記念に始めた雑記ブログ

映画『Bohemian Rhapsody』に見る多様な”人間らしさ”

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献身と同じかそれ以上に、生まれたままの自分を晒すのも愛

クイーンもフレディ・マーキュリーも、私が物心ついた頃にはメジャーすぎて、なかなか私事として捉える対象にはなりませんでした。素晴らしく格好良く、力強い音楽を作っていた人たちだとは思うけれど、そこまでの思い入れもなく、外野意識のままなんとなく今回の映画を観たというのが正直なところ。

 

期待していなかった分、余計に引き込まれたのかな。

 

とにかく役者みんながはまっていて、映像もスタイリッシュで、普通の大学生だった彼らのスターダムにのし上がるスピード感とか、常識破りの音楽センスとか、マネージャー陣のギャンブル的時代を生き抜くセンスとか、友情とか、恋とか、エイズとか、

いろんなものが一緒くたになって、凄まじく面白い作品でした。

 

何より、何にも知らなかったフレディ・マーキュリーが思っていたよりも人間らしさ満載の人として描かれていて、びっくりしました。

 

戸惑うくらいの愛の形の多様さ。全部お見通しの妻に「僕はバイセクシャルなんだ」と告げると、「あなたはゲイ」ともう一段真実を掘り下げて返される下り、しかも、「あなたがゲイなのは、あなたのせいじゃない(だからこの苦しさをどこにぶつけていいの?)」と言って泣く妻。

そして月日が経ち、妻がボーイフレンドとの子供を妊娠したと知った時に「どうやったらそんな(仕打ちができるのか)?」とフレディが妻に対して問う身勝手さ。

 

理屈で説明できない感情とか、常識を忌み嫌う人が持つ根底的な常識概念とか、そういう自分の中にある矛盾がマトリョーシカのように連なって、苦しくてどうしようもなくなる所など、まさに人間らしい。

 

イーブンな関係性でいるために、その場ではフレディの謝罪を受け入れないバンドメンバーなど、友情(彼らは家族という言葉を使って表現していた)も、なかなかに痺れる。バンドメンバー、みんな魅力的だったー。

 

個人的に「人間らしい」という言葉は、どんな罪もどんな悪もそれで表現できてしまう気がして、簡単に使うのをためらう言葉の一つです。何より、その罪や悪をその単純な形容詞一つで受け入れてしまうというニュアンスも嫌で、長らく使わないでいました。ただ、ここ最近思うのは、「人間らしい」と表現することで私自身が一歩前に出て誰かの許しがたい一面を受け入れることができるのならば、それは私にとってはいいことなんじゃないかと。

 

だから、人間らしいという言葉を私が発する時は、「受け入れたい」「理解したい」「許したい」あるいは「許されたい」というニュアンスを含んでいることが多いです。

 

映画『Bohemian Rhapsody』には、ミスチョイス、裏切り、堕落など、人間らしいエッセンスが詰まっていたけれど、やっぱり愛を誤解し、愛を見失っていた人が、最後には愛を見つけ、愛につつまれたという話は、すごく人をハッピーにするし、勇気付けられる。

 

音楽面では、超贅沢なミュージックビデオとしても楽しめると思う。レコーディングシーン、ライブシーンはとにかく圧巻。興奮ものでした。しばらくは、エンドレスでクイーンを聴いてこの世界観に浸っていたいな。