Saori in her 40s in Tokyo

2021年1月までの期間限定の雑記ブログ

面白さがわからない人レッテル

落語を聴いていると、

ここで笑うっていうタイミングがはっきりある。

もちろんそれは、話を追っていく中で

「自然と」笑ってしまうということなので、無理はしていない。

 

でも、この笑いの感覚、面白いという感覚の共有って

本当にそれが面白いんじゃなければクソ馬鹿らしいことだな、と思う。

 

私は、笑うことが好き。面白い人を尊敬している。

 

そのぶん笑いを強制されるのがすごく嫌いだから、

私は自分が心から面白いと思った時しか笑わない。

みんなが「あの人面白い」って言っても、

自分がそう思わなかったら、それは全然面白くないってこと。

 

そういう笑いの感覚とかでも、付き合う人って決まってくる。

なんかさみしいけど、仕方ない。嘘をつけないから。

そこを無理して作り笑いをしたり、話を合わす方が不誠実。

 

だから、友達付き合いも強制力はゼロなんだ。

ずっと一緒にいなくてもいいよね。

何でも知ってないといけないなんて、誰が決めたの。

友達のSNSフォローするのが、私にとっては一番バカバカしいこと。

友達なら会った時に面と向かって話せばいい。

likeは、もはや第三者に見せるためのものになっている。

 

またいつか波長が合う時のために、無理して今付き合わないでおく。

 

思えば、子どもの頃からそういうマイノリティな自分だった。